2012年01月19日

三都巡礼―奈良, 京都, 大阪

骸骨注連飾り

 門松は 冥土の旅の 一里塚

        ――『狂雲集』より 一休宗純

 ――そんな一休さんの狂歌を踏まえたものかどうかはわからないけれど、骸骨があしらわれたお正月の注連飾り。

 ……ちょっと珍しいですよね。

 私の郷里はこの国の最も古き土地――史跡に恵まれ、伝統と因習が色濃く影を落とす大和の国です。

 お正月に帰省した折、大和高原にある大宇陀の古い町並みを散策していてふと目に留まったのがとある店先(?)に飾り付けられたこの一風変わったお正月飾りでした。

大宇陀の店先

 ここがなにを商うお店なのか、店先を一目見ただけでは判然としません。「ヤサイ100エン」と書かれた張り紙と共に野菜が置かれていることから開業中であることは確かなのですが、といって八百屋さんにも見えない。
 店先に古い農具や臼が飾られ、個性的な美意識を感じます。

 椅子の上には、おそらくどこにも繋がっていないであろう黒電話。シュールです。
 「ちょっと一休み――」と椅子に腰をおろしぼうっとしていたら、どこにも繋がっていないハズのその黒電話が隣でジリジリと鳴りだしたりして――そんな埒のない妄想が浮かんでしまいそうになります。


 ――それはともかく。
 お正月の注連飾りの本来の意味は、お正月にやってくる年神様を祀るための依り代とされています。

 邪鬼を祓い神域を示す紙垂
 「ダイダイ」の音が「代々」の家の繁栄に連想された
 新旧相ゆずるに見立てられ、相続・継承を祝福するゆずり葉
 裏側が白いことから誠実・清廉潔白を象徴するとされたウラジロの葉


奈良県 大宇陀 大きな地図で見る
 それらが主に注連飾りの材料として用いられるのですが、頭骨があしらわれることはあるものなのでしょうか。他でまず見た記憶がありません。
 間違いなく、ここの主の特殊なアレンジだと思われるのですが……。


 一休さんは、お正月に骸骨を竹の先にぶら下げて家々を巡り、年始の挨拶をしたと伝えられています。この飾りもそれに類する心持ちのあらわれなのかもしれません。

 また、大宇陀は飛鳥時代には「阿騎野」と呼ばれ、狩り場としてよく知られていました。推古19年(611)に菟田野で薬猟が行われたと日本書紀の記録は伝えています。鹿の角は鹿茸と呼ばれ、強壮剤として用いられていました。
 鹿の頭骨を掲げた飾りは、狩り場であり薬の名産地でもあった大宇陀の地域性を象徴するにふさわしい、と言うこともできるでしょう。


 実際のところどういう事情なのか……。その時は、気になりながらも予定に急かされて早々に立ち去ってしまったため、真相は定かではありません。
 のれんをくぐり、カラカラと戸を開けて店主に直接尋ねてみればよかった、と今になって悔やまれるのでした。

  

 そうそう、お正月といえば初詣です。
 皆さまは初詣にどの神社に参拝なさいましたか?

 私は大宇陀近く、橿原神宮への参拝が初詣となりました。

 実家に滞在中、京都大阪へも赴く機会があり、続いて京都では平安神宮、大阪では今宮戎神社へと詣でて参りました。


 橿原神宮は奈良に住んでいた頃には不思議と赴く機会がなく、初めて訪れることになったのですが、広壮な神域を持つとても立派な神社でした。

橿原神宮境内
↑橿原神宮の境内。ひろびろ〜

橿原神宮外拝殿
外拝殿の入口右脇には、巨大な龍の絵馬が掲げられていました。


橿原神宮外拝殿
こちらは平安神宮。

 橿原神宮も平安神宮も訪れた時間かあるいは日にちのタイミングのせいかあまり参拝客がおらずとても静かだったのですが、今宮戎はすごかった!

 今宮戎神社は大阪の難波駅から南に1キロほどの距離にあるのですが、難波駅から神社へと向かう道筋は露店が建ち並び人波が絶えることなく続いていて、それはそれは大変な賑わいを見せていました。

 さすが商売繁盛の神様
 「えべっさん」

 私が訪れた日はちょうど十日戎の前日、1月9日の宵戎。
 混雑するはずです。


 今宮戎神社自体はさほど大きな神社というわけではないのですが、それだけに狭く密集した場所に立ち並ぶ露店と人の賑わいはあまり経験したことがないほど活気に満ちたものに思われました。

 人混みは苦手だけれど、たまにはこうしたお祭ごとに混じってみるのもよいものですね。


押しつぶされそうになりながら、なんとか気愛でお賽銭あげてきたよ!○ヽ(>ε<〃)

  

 さて、一休さんは『一休骸骨』という、コミカルな骸骨のイラストと共に教えをわかりやすく仮名で綴った書を残しています。その中に、こんな一文があります。

「いづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし」

 夢か現か紙一重。生と死もまた――

狂雲集  いつ、どんなかたちで死んでしまうか、一瞬先のことは誰にもわからない。そのことを強く実感した昨年でした。
 お正月に各地の神社にお参りしてしみじみと感じられたのは、今この時にあることがどれだけ奇跡的なことかということでした。
 せめて生きている間はできることをしよう……。


 髑髏を掲げた年頭のご挨拶。不興に感じられましたら、失礼致しました。
 今年が、みなさまにとりまして実り多く幸せな一年でありますように。




posted by Koh Takano at 18:08 | TrackBack(0) | たてもの遊行
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/53184290
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック